戦後初の国産旅客機YS-11、すでに民間からは引退し自衛隊が少数を運用するのみとなっています。飛行機の修理を手がける企業「エアロラボインターナショナル」が、国土交通省でフライトチェッカーとして運用していたYS-11を購入。修理し飛行可能な状態で香川県の高松空港に駐機してありました。ところが高松空港が民営化。10日以上の駐機を認めず、せっかくの飛行可能な機体を解体するしかない状態になっていたところ、航空学園が受け入れを表明しました。
2018年5月10日高松空港から能登空港に空輸され、航空学園の学生たちの歓迎を受けました。
YS-11は1962年に初飛行した戦後初の国産旅客機です。2006年に民間定期路線から引退。
2015年に自衛隊の輸送機としても引退し、あいち航空ミュージアムで展示されています。
現在は航空自衛隊で飛行点検機や電子情報収集機として、ごく僅かの機体が運用されるのみとなっています。
そんなYS-11ですが、整備会社エアロラボインターナショナルが国土交通省で運用していたJA8709を購入。エンジンなどを整備し直し、復元・動態保存するプロジェクトを実施していました。
ということで、能登空港へ。事前にエアロラボインターナショナルのFacebookページでフライトの時刻が告知されており、地元の新聞にも取り上げられていました。そのため、デッキには痛飛行機以来の集客。
3年間機体を保管していた高松空港から飛び立ったYS-11は、午後4時ごろ、随伴機3機とともに4機編隊で能登空港上空へ到着。
上空を一度フライバイし、随伴機を着陸させます。
JA8894。ソカタ TBM-700。フライトレーダーにはこの機体が表示されていました。
セスナ208B。JA282J。第一航空所有の機体。
ビーチクラフトA36ボナンザ。JA4111。
3機が着陸したあと、YS-11が滑走路を低空でローパスしてくれました。
かなり低めの高度にもかかわらず、翼をふり背中を向けてくれるサービス
今後1年は航空学園で保有することになりますが、飛行の予定は特にありません。しっかりとその勇姿を目に焼き付けます。
着陸のため、再びRW25へアプローチ
16時19分、能登空港に着陸しました。
YS-11は現在は当たり前となっているフライバイワイヤはもちろん無く、当時でも珍しく操縦系統に油圧が採用されていません。そのため、操縦桿を使い人力で翼を動かす必要があり、30分もフライトを続けると腕がパンパンになるそうです。
そんなYS-11で、香川県から八尾空港上空を経由し能登空港へ2時間かけてやってきました。
まずは、学園ではなく能登空港側のエプロンへやってきます。
エンジン下部にはすでに日本航空大学校の文字が書かれていました。
ANAの羽田空港定期便であるエアバスA320と並びます。
機体のレジ番は、元のJA8709ではなく、米国籍のN462ALとなっています。「VINDIATE」はスポンサーでしょうか。反対側には「Bluejet」と書かれていますが、航空機の運行や購入のコンサル会社。その系列会社のようです。
ここでエンジンを停止。機体からスタッフが降りてきました。
パイロットは外人のようです。
トーイングカーをつなぎます。
随伴機と。
A320と。並んで見ると、小型の機体であることがわかります。
トーイングを行う学生らと記念撮影。
航空学園側のエプロンへ移動させます。
一度滑走路へ出て
航空学園側エプロンへ
航空学園では歓迎イベントの準備が行われています。キャビンアテンダントコースの学生らが並んでいました。
YS-11がエプロンへ。
航空学園ではYS-11をもともと3機保有しています。しかしそれらは耐空証明を失効しており、飛ばすことはできません。飛行可能なYS-11は貴重な教材です。
学生らの盛大な歓迎を受けました。
航空学園では10月6日(土)~7日(日)に学園祭「航空祭」が行われます。これらの機体の展示にも期待です。なお、今年はREDFOX Airshows代表の高木雄一氏のアクロバットフライトも予定されています。(現在クラウドファンディングでスポンサーを募集しています)